大橋未歩アナ 脳梗塞がパラスポーツにかかわるきっかけに!治った後の“疎外感”も「見えない線を超えていきたい」という思いにも

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大橋未歩アナ 脳梗塞がパラスポーツにかかわるきっかけになったという

 元テレビ東京の大橋未歩アナウンサー(41)が23日、東京・ベルサール秋葉原で『BEYOND PARK 秋葉原』トークショーをパラ卓球協会の立石氏とともに開き、司会はお笑いコンビ『みんなのたかみち』が務めた。

 パラスポーツを応援するプロジェクト『TEAM BEYOND』の取り組みの一環として、パラスポーツのさまざまな競技を体験できるイベントとなっている。

 朝のオープニングイベントに出席し、正午からのトークショーにも登場した大橋アナ。

 司会からパラスポーツにかかわるきっかけを問われた大橋アナは、「34歳のときに患った脳梗塞が大きいんです。そのとき、脳卒中の患者さんたちがいらっしゃるフロアに入院したんです。私はたまたま後遺症が残らなかったんですけれど、後遺症が残っている患者さんがいっぱいるなかで、私ももしこういう障がいが残っていたとしたら、どういう人生を歩みたいと思っていたんだろうと考えるようになったんです」と、体験を通し、「オリンピックを取材に行っていたので、パラスポーツは知っていたんですけれど、そこから私もパラなどをやって、しかもそれが報道されるようになったら嬉しいなと思ったことがきっかけでした」。

 さらに、その脳梗塞が治って以降も「脳梗塞で8ヶ月間休職した後に、いろんな方にいろいろ気を使われていたんです。みんなから『大丈夫?』としか聞かれなくて。でも、私はもう脳梗塞になった後の人生が始まっているから、普通の会話をしたいなって。そのとき疎外感みたいなものを感じたんです。その疎外感というのが、パラアスリートのみなさんにお話を伺ったときに、みなさんがちょっとした孤独感を感じたことがあるとおっしゃってて。だから私も、わずかですけどそういう思いをした者として、そういう見えない線を超えていきたいなと思ったんです」と、身にしみて感じたことも話していた。

 その体験を通して、自身のパラスポーツを伝えるスタンスとしては、「局アナのときは、3大会のオリンピックを取材させて頂いたんですけど、思ったことはオリンピックとパラリンピックを区別しないことが大事だなと思っています。パラスポーツというとエンターテインメントというより福祉という側面から入る方がもしかしたらいらっしゃるかもしれません。でも伝える側としては、オリンピックキャスターをやっていたころとかわらず、極上のエンターテインメントでワクワクするものなんだという気持ちでパラスポーツを伝えていきたいと思っています」と、気持ちを語っていた。

 また、大橋アナは、パラ卓球のアンバサダーも務めている。取材でパラ卓球の岩渕幸洋選手に話を聞いたそうだが、「岩渕選手は左足が不自由なんですけど、『僕たちは相手選手の障がい部分を狙うことがリスペクトなんですよ』とおっしゃっていて、ビックリしたんです。スポーツ選手というのは、けがをしているところを狙わないことがスポーツマンシップだと思っていたんです。でも、パラアスリートの場合は、狙われることを前提として、狙わせないようなその上をいく戦略を練ることが、岩渕選手のプライドなんだって聞いた時に、3大会オリンピックを取材していても初めて聞いた!面白いと思ったんですよね。障がい部分をつい可愛そうとか、あえて触れない、蓋をしてしまうという目線があると思うんですけど、そうじゃないんです。障がいは障がいで、その人の個性として認めるというところから始まるんです。その考え方って、パラアスリートだけではなく、妊婦さんや高齢者と話をするときにも、その考え方は生きるのではないかと思いました」と、エピソードを熱弁。そうしてパラアスリートに取材を進めていくうちに、「不自由って無限の自由なんだなって」と、感じるようになったそうだ。

 そして来年の東京2020パラリンピックへ向け、大橋アナは「私はパラリンピックを生で観たことがないんです。生で、しかも満員の会場で見たら人生が変わりそうな気がするんです。人生と日本も変わるような気がしていて。その歴史の転換点のようなところにみなさんと一緒にいられたらと思っています。これからも応援をよろしくお願いします」と、呼びかけていた。

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