松井秀喜氏 長年愛用のテンピュール(R)ブランドアンバサダーに!平昌五輪出場の選手へ「すべてを出し切れるように」とエール

松井秀喜氏 長年愛用のテンピュール(R)ブランドアンバサダーに!平昌五輪出場の選手へ「すべてを出し切れるように」とエール5

松井秀喜氏テンピュール(R)ブランドアンバサダーに!

 元『ニューヨーク・ヤンキース』選手の松井秀喜氏(43)が13日、都内で『テンピュール(R)ブランドアンバサダー就任式』に登場した。

 マットレス&ピローブランドのテンピュール・シーリージャパンが展開するブランドアンバサダーに松井氏が就任。松井氏は2003年に渡米時からテンピュール(R)を愛用し体力の回復の助けになっていたことからアンバサダーとなった。

 松井氏は同社が用意した背番号55番のユニフォームに袖を通し、「私が体感した素晴らしさをたくさんの人に知っていただきたいなと思って。ブランドアンバサダーとしてホームランを打ちたいと思います」と、さっそく意気込みを。

 テンピュール(R)との出会いについて、「ちょうど私がメジャーに移籍する前に知人がプレゼントしてくれまして、1人で恋しくなるだろうから持って行けよと言ってくれて。もう15、16年前ですね。首から頭のフィット感、安心感が有りましたし続けてみようと。それからずっとです」と、気に入ったという。

 さらに、松井氏は「遠征のバッグにも入れていましたし、遠征にも1個、東京にも1個といつでも使えるようにしていました。逆にないと違和感があるんです。睡眠に関しては質のいい睡眠がとれていたんです。ナイトゲームの次の日にすぐデイゲームというのもあったり時差もあってかなり気を使っていました。ここに来ればすぐ眠れるという安心感、眠りに導いてくれるというので、欠かせなかったです」と、相当に助けになったようだ。

 イベントではテンピュール(R)の衝撃吸収を証明するためピラミッド型に積まれたボールをテンピュール(R)の上に置き、松井氏が同じベッドでバットを振るというパフォーマンスもあり「ベッドの上でバットを振ったの初めてですね」と、笑みが漏れる。

 そこで野球の話にも向いたが、つい先日、松井氏は古巣の読売巨人軍の宮崎キャンプで臨時コーチを務めたばかり。そこで、今後ユニフォームを着る予定はないかと質問が上がり、「宮崎で久しぶりにジャイアンツを見てあらためてみんなには頑張ってほしいなと。私のこととは切り離してですけど、そういう気持ちで見ていました」と、コメント。

 スポーツつながりでは、現在開催中の平昌五輪へ、「ライブでは見れないですけど結果はつねにニュースで見ています。もちろん日本人としてみなさんと同じ気持ちです。すべてを出し切れるように祈っています」と、ベストを尽くせるようにと願いを込めていた。

 ほかにも、あすがバレンタインデーということで、思い出を尋ねると、「数えるぐらい。両手もあれば足りるくらいです」と、はにかみながら話すこともあった。

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