俳優・北大路欣也が5月11日に東京・丸の内TOEIで映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』(監督:深作欣二)上映後に舞台あいさつに登壇した。
1960年9月20日に開業した会場となった丸の内TOEIが東映株式会社本社の入る東映会館の再開発に伴い、2025年7月27日に閉館する。東映最後の直営館であるとともに、日本最後のロードサイドシアターとしても愛され続けてきた本劇場が閉館に向けた関連事業について社内各部署を横断したメンバーによる“全社プロジェクト”で、グランドフィナーレとして5月9日から7月27日の80日間にわたり傑作特集上映を行っている。
『仁義なき戦い 広島死闘篇』は1973年1月に上映された『仁義なき戦い』の続編として1973年4月に公開。北大路は物語の主人公でもある村岡組の若衆・山中正治を演じている。昭和27年、呉。村岡組と大友連合会は再び抗争。刑務所入りしていた山中正治(北大路)は大友連合会からの凄惨なリンチを受けたことをきっかけに村岡組の組員となったが…。朝鮮動乱期の二大組織の血みどろの闘い、組長らの野望の陰で死んでゆく若きやくざ達の青春像を描いた作品となっている。
以下、公式レポート部分。
『仁義なき戦い 広島死闘篇』のメインテーマとともに丸の内 TOEI の舞台へ登壇した北大路は「今日はこの劇場に来てくださりありがとうございます。1960 年に出来上がったこの丸の内 TOEI、私はまだ17歳でした。ここでの初めの記憶は、『忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻』の舞台挨拶でここに立たせていただいて、(片岡)千恵蔵先生、うちの父親(市川右太衛門)、(中村)錦之助さん、(大川)橋蔵さん、皆さんが壇上からご挨拶をなさって、私が端の方でご挨拶をさせていただいたのを覚えております。今日こうしてこの舞台に立てるのは何とも言えない気持ちであります」と挨拶。そして、「私は、山中の祖父にあたります“山中欣也”でございます」と茶目っ気たっぷりにお辞儀をし、たったいま上映を観賞し終えた観客を沸かせた。
実は同じ上映回で北大路も鑑賞していたが、「ちょうど52年前の作品。私は29歳だったと思います。今、この映画を見せていただいて、作品にかかわるほとんど全ての方々に若い時代からお世話になり、育てていただいたことを思い出し、私の基礎になっているなと感じ、言い表せない感動、この作品に出会えた喜び、そういうものが何度も何度も蘇ってきました。そして、今日皆さまと一緒にこの作品を観ることが出来て本当にこんな幸せなことはありません。本日はどうぞよろしくお願いいたします」と挨拶すると、観客からは割れんば
かりの拍手が送られた。
初めにMCから「『仁義なき戦い』第一作目は沖縄で仕事中にご覧になり自ら第二作目の出演を申し出たということですが、当時(1973年)の『仁義なき戦い』の人気ぶりというのはどんなものがあったのでしょうか」と質問があると、「沖縄返還のすぐ後の年ですね、この73年というのは。仕事で沖縄へ行かせていただきましたが、まだ返還まもなくですから、その状況というのは、ある意味では、私にとってはショックでしたね。ああ、こういう状況の中で沖縄の方々が生活していらしたのかと思うと、胸にくるものがありました。そしてその中で、『仁義なき戦い』の第一作が劇場で流されているというので『これは見なくては』と、沖縄で感じた言い表せない思いを持ちながら鑑賞しました」と明かした。
そして「作品から出てくるエネルギー、何とも言えない激しい波動に揺さぶられました。戦後の雰囲気が目の前にある状況でこの映画を観たこともあり、深作監督や脚本の笠原和夫さんといった戦争を経験した方々の『この
ままでたまるか!』『これから日本をどうするのか!』という熱い思いも映画から感じたものですから、二作目を撮影されるなら何としても参加したいと思いました。そういう熱い思いの中で映画を作っているスタッフの方々にも会いたいし、(菅原)文太さんはじめ皆さんの形容しがたい雰囲気の中に身を置いて経験してみたいと思い、『ぜひ出してください』と監督やプロデューサーの方にお願いをしました」と続けた。
『仁義なき戦い 広島死闘篇』はシリーズ5作品の中でも異色作とも言われ、菅原文太が狂言回しとして脇にまわった作品。ただシリーズ最高傑作との呼び声も高く、脚本の笠原和夫も「一番好きで、愛着のある作品である」といった言葉を残している。そんな本作の逸話の中でも有名なのが、北大路が演じた山中正治と千葉真一が演じた大友勝利の役についてだ。当初のキャスティングでは北大路が大友を、千葉が山中を演じるはずだったが、クランクイン直前に北大路自ら役の交代を監督やプロデューサーに申し出たというエピソード。
北大路はこの背景について、「千葉さんとはその数年前に『海軍』という映画で、私は初めての現代劇だったのですが、ご一緒したことがあります。その時に感じた千葉さんの波動、エネルギー、それが頭の中にこびりついていて、『仁義なき戦い 広島死闘篇』の台本を読んでいるうちに大友が出てくると千葉さんの顔が出てくるんですよ」と話すと会場からは笑いが。「何回読んでもそうだったので、これは正直に監督やプロデューサーに言うしかないと思い、『僕としては山中をやりたいです』と伝えました」と続けると、MCから「クランクイン10日前の出来事で、千葉さんは難色を示されたのではないでしょうか?」と質問が飛ぶと、「千葉さんは承知してくれないだろうと、当然のことながら思っていました。ただその時の思いというのは、あの“沖縄”から繋がっていまして、溢れ出すものがあったのです。この作品の中に、ある意味での清濁が生まれたのではないかとも感じました」と北大路。ほぼ狂人のような迫力で演じた千葉の山中を現場で体験した北大路は、「現場で千葉さんと目を合わせると何となく睨まれているような(笑)。役そのままで、傍にいるのも怖いくらいでした。ただクランクインして一週間くらいで監督に呼ばれまして、『欣也くん、これはお互いこの役で正解だな』と言われ、『良かったあ~!』と心の底から嬉しかったですね。千葉さんはご一緒した『海軍』の撮影現場では非常にリーダーシップを取られて、私も色々な教えもいただきましたから、そういう出会いがあったので役の交代も飲んでくださったのではないかなと思っております」と振り返った。
また、バイオレンスなアクションシーンの殺陣(たて)について話が及ぶと北大路は「殺陣はあります。朝、現場に入って殺陣師の方と出演者とで手数を確認します。一人一人確認を取って、一人一人その殺陣のリズムを頭に刻む。確認が済むまではずっとリハーサルです。午前中は全部リハーサルとテストで、カメラの台数分確認をします。当時はフィルムですからテスト芝居をモニターで見るなどということはできません。フィルムを回したら、本当に一発勝負。スタッフの皆さんもわれわれ出演者も物凄く緊張していました」と明かす。
MCが「実際に本編を観ていると、殴りや擬刀が当たったりしているように感じたのですが…」と言いかけると北大路は「当たってます」と即答し、会場は大笑い。「でも、その真剣さがないと、殺陣をつけてくださった方々のアイデアが活きないわけですよ。そこに俳優としての感情が乗っていく、山中や大友の感情が乗っていく、もうそれは終わった後なんて皆のことを睨みつけてましたね
(笑)ただ、それぐらい緊張して、それぐらいの思いがないと怪我しますからね。年齢もまだ若かったですから、皆で乗り越えることができました」と若き熱い感情を漲らせていたことを明かした。
物語序盤の大友連合会からのリンチでは、山中は熱々の丼を頭に振りかけられるが、監督から「本気度が足りない、中身をもっと熱くしろ!」との指示もあったそう。「覚えてますね。ただ、現場にいる先輩方は皆さん私が憧れを抱いている方ばかりで、皆さんこんな私を支えてくれて、育ててくれた方々。そんな先輩に丼かけられるならそれはそれでいいやと(笑)それはもう熱かったですよ。でも多分、お互いに交流してきた、育んできた友情というのが何よりの支えだったと思います」と本気度の高いことで有名な深作監督の現場を振り返った。
さらに“仁義なき戦いシリーズ”の主役でもある菅原文太については「撮影所ではしょっちゅうお会いする、とても器量の大きな兄貴分」とした上で、「たまに食事に連れて行ってもらうと『松方弘樹、北大路欣也、これから頑張らなきゃだめだぞ、お前ら』とよく励ましていただきました。大きな優しさもありつつ、非常に冷静。山中という役で文太さんに会えるというのは、自然体で嬉しいと感じられた思い出があります」と語った。
菅原演じる広能昌三は薄目で遠くを見遣るような渋さがあるが、対して北大路演じる山中は静かながらも見開いた眼が血走るような迫力が特徴。
役づくりについて聞かれると北大路は、「あの目は、稽古やテストの間に興奮してきて自然に出てきたものでもありますし、いよいよ本番となる際にそのシーンの思いに近づくために何分間か息を止めてみようとやっていたこともあります。裸になるシーンもたくさんありましたので、少しは身体にも気合いを入れようと、腕立て伏せをしていたりしたこともあったので、それも効いていたのかもしれないです」と答えた。
鬼気迫るラストシーンも山中の見せ場の一つ。笠原和夫の脚本では、山中はこめかみに銃を当てることになっていたが、実際の北大路の芝居は銃を喉奥に咥える形に。それについて北大路は、「笠原和夫さんはデビューした頃から面倒を見てくださっていた方。その笠原さんと深作監督が抱く戦争に対する思いというのは、私たちでは想像ができないほど物凄いものがある。ただ、その滾るような思いは大事にしたいと思っていたところ、あるとき監督に『ラストシーンについて自分はまだどうするのか考えられてないけど、君は君なりに考えておいてくれよ』と言われました。脚本を書いた笠原さん自身もそういう思いをお持ちだったと思います。『予科練の歌』や『海軍の歌』が印象的に登場するのも、お二人の色々な思いがあってのことだと思います。それで、最後の最後、その撮影シーンの朝に監督から芝居の決定を伝えられました。山中は銃に弾を込めながら、思いの一つ一つを詰め込んだのだなと思います」と語った。
最後に、7月27日(日)に丸の内 TOEI 閉館することに対して北大路は、「65年の間、多くの映画ファンの方々に支えられ、数多くの作品がこの劇場で上映されました。そしてわれわれの尊敬する先人の方々も皆さんこの舞台に立ってご挨拶や感謝の思いを伝えられたと思います。私たち後輩もそういう先人の背中を見ながら育ってきました。その方々の作り上げられた大きなピラミッドに向かって、今も私は頑張っております。多くのファンの方々への感謝の思いと、そして築き上げられた先人の方々への御礼の思い、いろいろな思いで今日はここに立たせていただいております。私もデビューしてから来年で70年を迎えることになります。もう少し頑張って、先輩たちの後を追いかけていきたいと思います。本日は誠にありがとうございました」と締めくくり、舞台挨拶イベントは幕を閉じた。
※記事内写真提供:東映株式会社