松本穂香、東日本大震災の被災地を巡るドキュメンタリー番組のナレーション!「”知ること”の大切さ実感しました」

松本穂香、東日本大震災の被災地を巡るドキュメンタリー番組のナレーション!「”知ること”の大切さ実感しました」

 女優・松本穂香(23)が、作曲家・八木澤教司氏が被災地を巡り、新たな曲をつくる過程を追いかけたドキュメンタリー番組『私たちの震災10年目~あの日を伝えるアンサンブル~』のナレーションを担当する。

 3月28日に千葉テレビ、群馬テレビ、3月29日にテレビ埼玉、テレビ神奈川、とちぎテレビ、3月30日にサンテレビの独立U局計6局にて、放送される。

 岩手県出身の作曲家・八木澤教司氏は、2011年の紅白歌合戦で夏川りみ(46)と秋川雅史(52)により歌われた復興シンボルソング『あすという日が』の作曲者。東日本大震災から10年が経とうとする中で、「震災の記憶を風化させてはいけない」、「被災地で活動している方を応援したい」という思いから、新曲制作に至った。八木澤氏が曲作りの過程で被災地の現状を知るために宮城県沿岸部を巡る際、同行取材を実施。

 訪れた先は、児童のほとんどが津波の犠牲になった大川小学校跡地や、震災当時の写真や残された遺品を展示する『南浜つなぐ館』。そして、津波で流された防潮林を復活させようと植樹活動を行うNPO『わたりグリーンベルトプロジェクト』や被災者の自立支援を進める『ゆめハウス』など。そこでは、被災地で活動を続ける様々な人との出会い、つながりにより、新たな歌『南風が吹いたら』が出来た。完成した曲は海上自衛隊音楽隊の協力を、演奏される。

 作詞は、八木澤氏の奥様・武田あゆみさんが担当。「春に吹く暖かな南風が、冬の凍てついた寒さを和らげていくように、誰の心にも温かさを吹き込んで、前向きに生きてほしい」という願いが込められている。なお、全国の合唱部や吹奏楽部にも歌い、演奏してもらえるように楽曲された。

 ■『私たちの震災10年目~あの日を伝えるアンサンブル~』番組概要
 放送日:2020年3月28日(土) ・千葉テレビ 9:30~10:00
                ・群馬テレビ 11:30~12:00
2020年3月29日(日) ・テレビ埼玉 10:30~11:00
・とちぎテレビ 14:00~14:30
・テレビ神奈川 25:30~26:00(30日(月)1:30~2:00)
2020年3月30日(月) ・サンテレビ 25:30~26:00(31日(火)1:30~2:00)
※放送時間は前後する可能性あります。
 放送時間:30分(本編28分)
 放送概要:2011年、NHK紅白歌合戦で夏川りみと秋川雅史が歌った復興のシンボルソング『あすという日が』。作曲した八木澤 教司さんが、震災の被害を風化させたくないという思いから、新たな曲をつくる過程を追いかけたドキュメンタリー。
 取材先:・ゆめハウス(コミュニティスペースうみねこ)(宮城県牡鹿郡女川町高白浜)
 ・南浜つなぐ館(3.11みらいサポート)(宮城県石巻市南浜町)
 ・大川小学校跡地(大川伝承の会)(宮城県石巻市釜谷山根)
 ・わたりグリーンベルトプロジェクト(宮城県亘理郡亘理町吉田原)
 番組告知用CM(30秒) https://youtu.be/HgXDOU7_xQI

松本穂香、東日本大震災の被災地を巡るドキュメンタリー番組のナレーション!「”知ること”の大切さ実感しました」

 ■松本穂香からのメッセージ
 今回、ナレーションのお話をいただいた時、東日本大震災から10 年が経とうとする中でたくさんの人の気持ちが詰まった番組のナレーションという大役が私に務まるのだろうかという不安がありました。しかし、お声掛けしてくださったからには精一杯やらせていただこうと思いました。

 実際に映像を観ると、私たちがまだまだ知らない、震災の現実や、復興の道のりがあることに気づかされました。そしてもっともっと日本全体で支援していく必要があると感じました。収録時は、色んな方の思いが詰まっていることを考えると、生半可な気持ちでやる事は許されないと緊張しました。ただ、私ができる精一杯の心を込めて、ナレーションさせていただきました。

 被災地で活動している方々へ
 私には想像もできない経験や、理不尽なこと、やりきれない気持ちなどがたくさんあると思います。「頑張って」とは簡単に言えないけれど、皆さんの姿を見て、力をもらう人はたくさんいます。私もその一人です。未来の何かにつながることを信じて、私も自分の出来る事を頑張ろうと思います。

 視聴者のみなさまへ
 私は、”知ること”の大切さをこの番組を通して改めて実感しました。東日本大震災でたくさんの尊い命が奪われました。同じことを二度と起こさない為にも、過去と向き合っていくことが必要なんだと思います。ぜひ、大切な方とご覧いただきたいです。

 ■新曲『南風が吹いたら』の作曲、作詞のエピソード
 ★作曲者/八木澤教司 「音楽で震災の記憶を風化させないように呼びかけたい」
 私は岩手県出身であり、また、東北は音楽家として何度も訪れ、親しい仲間たちもたくさん住んでいる地域です。震災の直前にも仙台で開催されたイベントにゲスト出演をしていて、東京に一度戻り、福島県のいわき市に向かう前日に、あの恐ろしい地震。その後、仙台市立八軒中学校の生徒さんたちが、避難所になっている武道場で、私の合唱曲『あすという日が」を歌ったことがNHK テレビニュースで流れ、後に復興シンボル曲とも言われるようになりました。

 震災直後は私の住んでいる関東でも大きな被害があり、私自身も「音楽はこんな状況の時に何の役にも立てないのでは…」と希望を失っていたところに、中学生たちが自分の歌で被災者を励ます様子。それは想像もしていなかったことで、逆に私が勇気づけられました。
しかしながら、この歌はもともと2006 年に作曲したもので、この震災のために作曲したものではありません。いつの日か、何かをしなくてはならないという思いを持ちながらも9年という年月が経っていました。

 世の中が新型コロナウイルスで騒然となりはじめた今年の3月初旬、私は東日本大震災の被災地に向かいました。現地で活動している方々と出会い、被災直後の様子やその後のお話を伺うなかで、被災直後には多くの支援があったものの、現在では助成金が打ち切られているケースも多いという現実を知りました。世の中では過去の出来事と思われつつあるなかでも、被災地の人々は、今でも震災と常に向き合っていました。

 被災地で活動されている方々が共通してお話されていたことは「日本に住んでいる以上、地震や津波があることは誰でも知っているし、覚悟していること。しかし助かるための手段や対策に関してはあまり現実的に捉えているとは言えない。この地で起きた出来事を他の地域の人たちにも知ってほしい、考えてほしい、同じ失敗はして欲しくない」ということでした。

 彼らからのキーワードや現地で感じた印象を妻に写真と共にリアルタイムで送り、それらを基に詩を綴ってもらい、前向きな気持ちになれるような応援歌を作曲することにしました。音楽で災害を止めることはできませんが、音楽で風化させないように呼びかけることはできると信じて。多くの人々の心に響くよう温かい音楽になるよう、妻と共に全身全霊で生み出した歌です。

 ★作詞者/武田あゆみ 「南風のように、この曲が心に温かさを吹き込み、前向きに生きるきっかけになれば」
 夫である八木澤教司から、いつになく真剣な面持ちで「大事な話があるんだ」と相談された時には、何事かと思いました。詳しく話を聞いてみると、東日本大震災の被災地を訪れて作曲をするつもりで、できれば器楽曲ではなく歌詞のある「応援歌」にしたいとのこと。相談の内容は「現地で様々な活動を続けている方々が発した言葉や思いを自分が伝えるので、なんとか作詞に取り組んでもらえないか』というものでした。これまで趣味の範囲で作詞の経験はあったものの、「詩」としてまとめきれるのか、正直とても不安でした。しかし、夫の仕事を日頃からみてきたこともあり、少しでも役に立てることがあれば、という思いで引き受けました。

 この詩のタイトルには、「春に吹く暖かな南風が、冬の凍てついた寒さを和らげていくように、誰の心にも温かさを吹き込んで、前向きに生きてほしい」という願いが込められています。いつもの何気ない日々がとても貴重であり、だからこそ精一杯に前を向いて生きていく。つい、日々の忙しさに忘れてしまいそうになる大事なことを、この詩が思い出すきっかけになればとても嬉しく思います。そして、誰かの背中をそっと押すような、そんな優しさと勇気を持てたら、きっと未来を拓いていくことができると私は信じています。

 ■ストーリー
 2011年3月11日。東日本大震災のその日 宮城県沿岸部には、押し寄せる津波が町を襲い、日常を一瞬にして奪い去りました。また、津波は市民の生活を塩害から守っていた松林とともに、子どもたちも一緒に飲み込んでしまった。
 「子どもたちの生きた証を次世代にもつなげたい」
 強い思いとともにそこに立つのは、NHK紅白歌合戦で夏川 りみさんと秋川 雅史さんにより歌われた復興のシンボルソング「あすという日が」を作曲した八木澤 教司さん。震災の被害を風化させたくないという思いから、新しい曲をつくるために、被災地を訪れていました。
 校庭に避難していた児童のほとんどが津波の犠牲になった大川小学校。震災当時の写真や残された遺品を展示する「南浜つなぐ館」。津波で流された防潮林を復活させようと植樹活動を進めるNPOや10年間変わらず支援を続ける企業など、様々な人との出会い、つながりにより、出来上がりつつあるメロディー。
 そして、被災地から帰ってきた八木澤さんに変化が。曲だけではなく歌詞を付けて「歌」にしたい。それも、現地で様々な人から聞いた「復興への想い」をヒントに、曇った空から晴れやかな青空になるような、希望に向かうような歌を・・・。
 その歌を、全国の子ども達が合唱することで、震災の記憶も伝承できるのではないか。出来上がった作品は、被災地活動を行う海上自衛隊の音楽隊に演奏収録の協力をしてもらえることになりました。完成した新曲『南風が吹いたら」は新たな復興シンボル曲となり世界中で演奏されるでしょう。