JAM Project初ドキュメンタリー映画のタイトルに込めた監督の思い!影山ヒロノブ「俺たちの内面をすごく探ってた」や奥井雅美「監督は預言者!」?【前編】

JAM Project初ドキュメンタリー映画のタイトルに込めた監督の思い!影山ヒロノブ「俺たちの内面をすごく探ってた」や奥井雅美「監督は預言者!」?【前編】1

 世界中に日本の「Anisong(アニソン)」という言葉を浸透させた立役者として知られる5人組ユニット『JAM Project(ジャムプロジェクト)』(Japan Animationsong Makers Project)。

 “アニキ”の愛称で知られる歌手・水木一郎の「21世紀へ古き良き“アニソン魂”を残したい」という呼びかけによって、2000年に結成。現在のメンバーはTVアニメ『ドラゴンボールZ』のOP主題歌『CHA-LA HEAD-CHA-LA』で知られる影山ヒロノブ。『ウルトラマンZ』OP主題歌『ご唱和ください 我の名を!』を歌う遠藤正明。TVアニメ『ONE PIECE』のOPテーマを初代『ウィーアー!』から4度担当したきただにひろし。TVアニメ『少女革命ウテナ』のOP主題歌『輪舞-revolution』の奥井雅美、TVアニメ『マクロス7』内のバンド『Fire Bomber』における数々の楽曲の歌唱などで知られる福山芳樹。結成初期は「アニソン」という言葉が市民権を得だした時期と重なったこともあり、アニソン界の“アベンジャーズ”ともいうべきメンバーが集結しているということで、アニソンの歴史をさらに1歩進めることとなった。

 アニソン界のトップランナーとして走り続けているJAM Projectだが、結成20周年を迎えたことを記念し、このたびドキュメンタリー映画『GET OVER -JAM Project THE MOVIE-』(監督:大澤嘉工/配給:東宝映像事業部)を制作。2月26日から3月11日にかけ期間限定での公開を予定している。作品内では、ライブ映像はもちろんのこと、これまでの歩みをそれぞれのインタビューで率直な心情と振り返るとともに、戸惑いを吐露する姿、ステージに向かうときの何げない会話、打ち上げの模様など、素顔に迫った内容となっている。そんな彼らの「アニソン」へのこれまでの向き合い方、そして、これからを尋ねた。

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 (以下、みなさんJAM ProjectをJAMと略して愛着を持って話していたので、それにならい発言した通りの表記にしています)

 ――結成20周年おめでとうございます!まずは、20周年を迎えたときの感想と印象に残った出来事はありましたか?
 福山:20周年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、もう何もできなくて、とんだ20周年になってしまったなと。印象的な出来事はいっぱいあります。まず、JAMに入れたことが1番ですね。最初からレコーディングでこのJAMの代表曲『SKILL』を歌っていたということ。いまでも、(ライブの)最後に『SKILL』をやるっていう、そういう素晴らしい曲に出会えて、それがJAMの基本になっているのはとても嬉しいですね。

 きただに:僕は20年のなかで最初の年から半分以上、自分的にJAM Projectのなかであんまり機能してないのかな……と、ちょっと自分に不甲斐なさを感じることがあったんです。けれど、やっと最近、JAMの一員になれたかなって自分のなかで思えているんです。20年はあっという間だったと思います。これからのJAM Projectで躍進するという気持ちの方が多いかもしれません。

 影山:20周年の感想はもう福ちゃん(福山)と一緒で、こんな(新型コロナウイルス禍で)とんでもないときに重なっちゃって、海外も含めると20本以上計画していたコンサートが全部なくなって。なんだろう……去年という1年をね、本当になかったことにしてほしいくらいの気持ちなんです。でもまあ、まんべんなく、世界中の人たちと同じものと戦っているという感覚は、人類の歴史のなかで、初めてなのかなと思っていて、やっぱりなんとか乗り切るまで頑張るしかないなっていう気持ちです。20年のなかで1番というと、このメンバーで解散したり、メンバーチェンジしないで、いま存在していて、いつでもゴーサインが出たら、コンサートを再開するぞという体制で存在できていることがすごく嬉しいですね。これだけの年になってもJAMって、音楽的に進化しているので、やっぱりそこを1日でも早く進めていきたいなと思いますね。次、どうぞ!(笑)(と、横の奥井を見る)

 奥井:20周年を迎えられるとはあんまり思ってなかった部分もあるかなぁ。私は(JAM Projectがスタートして)3年目に入ってきたんですけど、まさかみんなで、このメンバーで迎えるなんて!っていうのがあって。でも、迎えてしまうと早くて。20周年を記念したツアーができなかったということはあるんですけど、ただ、あのまますんなりツアーができてたら「やり切ったね!」という達成感ではないですけど、映画の中でも話しているネガティブな部分で“JAMこれからどうしよう……”と考えていたかもしれません。でも、いまはそうなっていなくて、「コロナのことがきっかけで、まだまだ止まれないな、もっとちょっと行かなきゃ!」みたいにJAMの中では、逆に負けるものか!と、闘志に火がついた状態になっています。印象的なことは、いまのこの状態が印象的かもしれないです。こんなコロナ禍のなかでJAMを続けられて、映画を作ってもらって、「この先ツアーを今度いつできる?」と、思っている、いまが1番印象的です。

 遠藤:えっと20年……。まさか20年やると思ってなかったので、考えてみたら早かったですね。あっという間だったなと思います。それだけ充実していたんだろうなと思います。いろんなことに挑戦させてもらって、活動してこれたからこそあっという間に感じるんだろうなと。俺自身でも、自分のバンドや、いろんな中でこんなに続くユニットはないんです。俺は18歳で田舎(宮城・石巻)を出てきたので、ある意味、家族より長くこのグループに一緒にいるみたいな。そういう意味では愛着もあるし、あっという間な20年だったと思います。印象的な出来事は、なんでしょうね……。俺のずっと夢だった、日本武道館にこのユニットで(2009年に)立てたし、世界に行って歌うんだという夢もこのグループで叶えさせてもらったし、そういう景色を見せてもらったのはこのグループなので、1つではないですけど、印象的です。

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 ――映画タイトルの「GET OVER」は「~回復する」「~の痛手から立ち直る」などの意味がありますが、このタイトルはみなさんでつけられたんですか?
 影山:実はつけたのは俺たちじゃないです。ただ、タイトルを見たときに、俺たちの曲の詩からとったんじゃないかなと思ったんだよね。
 遠藤:俺たちの曲に「Get over the Border」という曲があって、歌詞からとってくれたんだと思う。
 影山:たぶんそこから大澤監督がチョイスしてくれたと思うんですよね。その曲を引っさげて、2008年に『No Border』という初のワールドツアーをやったんですけど、そのツアーのタイトルはアニソンに国境はないんだよという、みんなに確認するような気持ちを思ってもらいたくて……って、何ヶ所くらい行ったんだっけ?(苦笑)
 福山:10かな?
 奥井:いっぱい!アフリカ大陸以外(笑)
 きただに:けっこう行きましたよね。
 (※編集部脚注: 台北、サンパウロ、ボルティモア、ソウル、北京、上海、香港、メキシコシティ、パリ、バルセロナの10都市)
 影山:だから、たまたま“乗り越える”という意味で、1番格好いい英語だったと思っています。

 ――正直なところ、コロナ禍に関連させてつけたんじゃないかと思っていたんですが、実はそうではなかったんですね。
 奥井:監督はもしかしたら預言者だったのかも!
 遠藤:そう考えても、何度見ても素敵なタイトルだなと思いますね。
 福山:いつ決まったんだろうね。
 影山:確か、最初は仮タイトルだったと思うんだけど……。
 きただに:試写会のときまだタイトル決まってませんでしたし……。

 と、ここでスタッフが説明に登場。

 スタッフ:タイトルは大澤嘉工監督がつけたのですが、大澤監督は1番最初にJAMのみなさんに会ったときから「GET OVER」って決めていたそうですよ。確かに、途中いろんな候補があったりして、最終的に決定したのはギリギリです。ですが、1番最初にお会いしたとき、幕張で決めたそうです……。

 5人:えっーーー!!!?
 影山:それだと、一昨年の6月ですね!!
 奥井:やっぱり、預言者だ!
 きただに:これかなりのいい情報ですよ!(笑)
 奥井:確かに、インタビューで重点的に「GET OVER」の意味に近いところを聞かれていたから、そういうところを表現したかったのかなって。
 影山:僕らはドキュメンタリー映画を作ると言われても、いまいち実感が湧かない部分があったんです。いままでは、コンサートとかツアーのDVDの撮影くらいしか経験がなかったので。でも、大澤監督はいつも、自分の中にある疑問を俺たちに常にぶつけてくれて、そこから何かを引き出そうっていうスタンスでした。今から思えば、ただ俺たちを撮ってというのではなく、「この人たちの内面はなんだろう?」ってことをすごく探してくれていたんじゃないかと思います。それが一昨年の6月からはじまったわけで、大澤監督はみんなが知らないJAM Projectの奥の方にあるものに、すごく興味があったみたいで、それに対してすごくどん欲だった気がしています。

 ――今の若いシンガーの方たちは、「アニソンシンガーになりたいです!」というふうに入ってくる方たちが多いのではないかと思います。みなさんの場合はご自身でバンドをやっていたり、いまでも自分のジャンルを持っていたりというのがあって、みなさんにとってのアニソンという存在、アニソンとの出会いというのがどういう存在なのか、何がほかのジャンルと違うのか、アニソンへの思いなどを聞かせて頂けますか?

 福山:アニソンというのは子供の頃から、ヒットチャートとか、好きなグループとは別に存在しているものだったんですけど、ただ、僕らが大人になるころに、みんなで歌える曲って、アニソンとかヒーローものの歌が多くなって。それを大人になって、そういうジャンルとして歌えたというのは、あらためて良かったなと思いました。それは自分の生活とかバンドを維持するためとかではなく、ただ単純に、歌えて良かったなと。それが、きっかけでこういう世界にも入れたし。けど、僕らはJAMをやっていて、アニソンの音楽スタイルっていうのは完全にあるんじゃないかなと最近は思っています。とくに90秒というテレビアニメのサイズだったり、映画にしてもエンディングに音楽があって。作品が細かく表現されるほど、細かく展開していくような音楽というのは、僕らみたいなストロングスタイルのアニソンが……なんていうんだろう……ぴったりというか。寄り添ってこれたんじゃないかなと思います。

 きただに:僕もJ-POPでデビューしてから戦力外通告を受けたみたいな感じで、このアニソン界に拾われたというか……(苦笑)。だから恩返しのような気持ちです。人生を助けてもらった業界なので。デビュー前から応援してくれている友だちがアニメ(の曲を)歌うようになってきてから、現場とかイベントだったりライブだったりを観に来てくれたときの言葉がすごく印象的で、「こっちの世界(アニソンを歌う世界)の方が天職なんじゃないの」と言われて。そうなのかなと思いますし、自分の性格や、声質であったり、生き方とかもそういうところもすべて、向いていたのかな、なんて。だから、なるようになったのかな、と思っています。

 【後編(影山ヒロノブ アニソンに「1番大切なこと」JAM Project1人1人のアニソンへの想いと「これからの仕事」)へ】