フィギュアスケーター・浅田真央選手が5月8日より映像配信サービス『Lemino(R)』で独占無料配信しているオリジナルドキュメンタリー番組『NumberTV』第20回に出演している。
番組は、トップアスリートたちの輝かしい「現在」と、それに至るまでの「挫折」をアスリート本人が語るリアルドキュメント。全24回の配信で、様々なスポーツジャンルの一流アスリートを招き、それぞれの「挫折と復活」の物語を深く掘り下げている。
以下、公式記事部分。
3歳で母の影響でバレエを始めた浅田さんは、5歳のとき「足首を鍛えるため」に初めてスケートリンクへ。競技を始めると瞬く間に才能が開花し、「天才少女」として地元のスケート教室で注目を集めます。姉の舞さんとともにリンクに立ち、卓越したジャンプ技術と天真爛漫な表現力でコーチや観客を魅了しました。そこには、「愛されるスケーターになりなさい」という山田満知子コーチの教えもありました。
2004年、ジュニアグランプリファイナルでジュニア女子史上初のトリプルアクセルを成功させ、優勝。その名を世界に知らしめました。2005年にはシニアのグランプリシリーズに初参戦すると、ファイナルで初出場にして初優勝を飾り、未来の五輪金メダリスト候補として注目を集めます。彼女の代名詞であるトリプルアクセルは、観客の心を掴み、フィギュアファンだけでなく幅広い人々を魅了しました。
まさに順風満帆だった浅田さんですが、ライバルであるキム・ヨナ選手も台頭する中、2010年のバンクーバー五輪を目前に、かつてない試練の時を迎えます。浅田さんの核となってきたはずの、ジャンプの不調。回転不足や着氷の乱れが目立ち、トリプルアクセルの成功率が大きく低下、「挑戦すらできない」状態にも陥りました。長年磨いてきた技術が思うように発揮できず、コーチとの修正作業もなかなか進まないまま、焦りと不安が彼女の精神を揺さぶります。それでも、「ジャンプのレベルの高さを証明したい」という強い想いが、浅田さんをトリプルアクセル「挑戦」へ突き動かしました。キム・ヨナ選手には及ばず悔しい一方、銀メダルという結果は支えてくれた人たちへの恩返しになったと語ります。
五輪後、苦しみながらもジャンプの修正に取り組んでいたさなか、最愛の母との別れが訪れます。母は浅田さんの最大の支えであり、その喪失は彼女の心に深い影を落としました。そんな苦しみの中でも、スケートへの愛を胸に彼女は立ち上がる強さを失いませんでした。
数々の試練を乗り越えてきた浅田さんが「スケート人生の中で一番のどん底」と語るのは2014年ソチ五輪のショートプログラム。転倒などのミスを重ね、厳しい結果となります。「このままでは終わる…」そんな中での姉・舞さんとの電話。「優しい言葉より怒られた方が上手くいく」という母がいた頃の記憶を思い出した舞さんの言葉で何かが変わりました。自分を信じて臨むことができた翌日のフリースケーティングでは、前日の不調をうち払うかのように圧巻の演技を披露。トリプルアクセルを成功させ、メダルには届かなかったものの、自己最高得点を打ち出しました。観客の心を打ち、この時の演技は「伝説のフリー」として語り継がれています。
2017年に競技を引退した今も、浅田真央さんは、アイスショーや、自身の名を冠した「MAORINK TACHIKAWA TACHIHI」のプロデュースを通じて、スケートの魅力を広く発信し、次世代の育成にも力を注いでいます。「マオリンクでスケートを始めて、オリンピックで金メダルを獲れるようなスケーターが誕生したら、スケート人生の最終地点」と笑顔で語る浅田さんは、指導者として若いスケーターに夢を与え、フィギュアスケート界に貢献し続けています。挫折を乗り越え、力に変えてきた浅田真央さんの物語を、ぜひご覧ください。
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なお浅田選手のサイン入りグッズが抽選で2人に当たるプレゼントキャンペーンも5月8日から5月21日午後11時59分まで実施中。詳しくは番組特設ページ(https://bit.ly/4ighOSD)にて。
また、第21話には“ゆづ”の愛称で親しまれているフィギュアスケーター・羽生結弦選手が登場。五輪2連覇の知られざる苦悩と、その先の挑戦に迫っているという。
■第20話予告動画
https://youtu.be/6SMwODifjlA
■第20話視聴ページ
https://bit.ly/3EnVFUD
※記事内画像は(c)NTT ドコモ/Sports Graphic Number